【55番】「三船の才」と称えられた上に 三十六歌仙を選んだ!!大納言公任!!
ジャンル:他
時代:平安時代
超要約:伝説の滝
歌の意味(子ども向け):今は枯れても、あの滝のことは覚えていますよ。
歌の意味:滝の流れる水音は、聞こえなくなってからもうずいぶんになるけれども、その名声だけは流れ伝わって、今でも人々の口から聞こえていることだよ。
☟この首に関するクイズ
Q この歌に出てくる滝は、本当にある滝である。〇か✖か?
A 〇
この歌の舞台は、京都の嵐山にある大覚寺。この寺はかつての嵯峨上皇の離宮であった。公任の時代にはすでに滝は枯れており、昔日をしのんで歌ったものである。
しかし、この歌が有名になったことでこの枯れ滝は「名古曽(なこそ)の滝」と呼ばれるようになった。
☆ゆかりの地巡り ⇨名古曽の滝(京都府京都市)
👇語呂合わせ(覚え方)
嵯峨天皇がつくった大覚寺(だいかくじ)の古びた滝を見て、遠い昔、そこにあった美しい庭と滝の面影を詠んだ歌です。「滝」と「流れ」、「音」と「聞こえ」という二組の縁語(えんご)を用い、初句と第二句の頭に「た」、第三・四・五句の頭に「な」、というように同じ音を重ねてリズム感を出しています。滝の音をイメージさせる調子のよい歌です。
作者の大納言公任=藤原公任(ふじわらのきんとう)は、博学多才な人で、和歌、漢詩、管弦(音楽)に秀でており、「三船(さんせん)の才」と称えられました。平安時代、貴族は3つの船を川に浮かべて、それぞれの船で、和歌・漢詩・管弦を行って楽しみました。その3つの船のことを「三船」と言い、3つの才能を兼ね備えていることを「三船の才」と言ったそうです。
また公任は、誰もが認める文化人で、多くの歌集や歌論に携わりました。「三十六人撰(さんじゅうろくにんせん)」を選定したことで、「三十六歌仙」という呼び方が広まりました。愛娘の死の際には、哀しみのあまり、官を辞し、出家しました。
大覚寺(京都府)は、もともとは嵯峨天皇が退位された後に住んだ別荘。公任の時代には、既に滝は枯れていたそうです。現在は、「なこその滝」ということで、跡が残っています。(一番下の写真)
☝️名古曽の滝に行って来ました!
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