第1問
Q 百人一首が詠まれていた平安時代は、夫婦はいっしょに住んでいたか?
この歌の意味
住之江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないけれど、夜でさえ、夢の中で私のもとへ通う道でさえ、どうしてあなたはこんなに人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。
A ✖
夫は妻の住んでいる家(やしき)を夜たずね、朝帰るという、 「通い婚(かよいこん)」が普通。
デートも、昼間男女が会うことはなく、夜に彼女の家を訪ねるのが普通だった。
この歌の意味
いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのですから)。
A 夏
季節ごとの数は、春が6、夏が4、秋が16、冬が6。夏が一番少ない。
第3問
Q 次の歌は、百人一首で唯一、日本以外で作られた歌である、どこで作られた?
この歌の意味
天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。
A 中国
作者の安倍仲麿は遣唐使として唐に渡り、そこで驚くような秀才ぶりを発揮して玄宗皇帝のお気に入りとして高位の役人になった人である。
しかし、あまりに気に入られたため、日本に帰ることを許してもらえなかった。唐にいて望郷の思いがつのる仲麿だったが、30年を経てようやく帰国を許され、明州(現在の寧波(ニンポー)市)で送別の宴が催された時に詠まれたのが、この歌であった。
第4問
Q 「これやこの」の意味は?
①たくさんあるけど、これしかない!
②これが噂に聞くあの
この歌の意味
これがあの、京から出て行く人も帰る人も、知り合いも知らない他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うと言う有名な逢坂の関なのだなあ。
A ②
第5問
Q 「流れもあへぬ」とは、「流れることができない」という意味である。〇か✖か?
この歌の意味
山の中の川に、風が掛けた流れ止めの柵(しがらみ)がある。それは、流れきれないでいる紅葉の集まりだったよ。
A 〇
流れようとしても流れきれない、という意味。
第6問
Q 「しづ心なく」とは、「静かにする気がない」という意味である。〇か✖か?
この歌の意味
こんなに日の光がのどかに射している春の日に、なぜ桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。
A ✖
「静心(しづごころ)」は「落ち着いた心」という意味である。
「落ち着いた心がなく」という意味で、散る桜の花を人間のように見立てる擬人法を使っている。
第7問
Q この歌は、百人一首を選んだ人も、お気に入りの歌であった。ところで、百人一首を選んだ人は誰?
①藤原定家
②蝉丸
③小野小町
この歌の意味
草の葉の上に乗って光っている露の玉に、風がしきりに吹きつける秋の野原は、まるで紐に通して留めていない真珠が、散り乱れて吹き飛んでいるようだったよ。
A ①
激しい風に吹き飛ぶ水滴を、ほどけた真珠が散るさまに見立てた非常に美しい歌である。
第8問
Q この歌は、失恋の歌、片思いの歌、どちらか?
この歌の意味
まばらに茅(ちがや)が生える、篠竹の茂る野原の「しの」ではないけれども、人に隠して忍んでいても、想いがあふれてこぼれそうになる。どうしてあの人のことが恋しいのだろう。
A 片思いの歌
がまんし続けていてもあふれそうな恋の心を表現している。
第9問
Q 由良川は、どこにあるか?
①兵庫県
②奈良県
③京都府
この歌の意味
由良川の河口の流れが速い瀬戸を漕ぎ渡る船頭が、櫂をなくして行く先も分からずに漂っていく。そんなようにこれからどうなるのか行く末が分からない私の恋の道行きだ。
A ③
由良川は京都府の北部、宮津市を通って日本海に流れ込む川だが、河口部分はちょうど川の水と海の水が混じって流れが速い上に、波が乱れて渦などもできている。
第10問
Q 「人こそ見えね」とは、作者が歳をとり、目の病気になったことを表している。〇か✖か?
この歌の意味
つる草が何重にも重なって生い茂っている荒れ寂れた家。訪れる人は誰もいないが、それでも秋はやってくるのだなあ。
A ✖
目の病気になって人が見えなくなったのではない。誰も来なくなったという意味である。
第11問
Q この歌に出てくる滝は、本当にある滝である。〇か✖か?
この歌の意味
滝の流れる水音は、聞こえなくなってからもうずいぶんになるけれども、その名声だけは流れ伝わって、今でも人々の口から聞こえていることだよ。
A 〇
この歌の舞台は、京都の嵐山にある大覚寺。この寺はかつての嵯峨上皇の離宮であった。公任の時代にはすでに滝は枯れており、昔日をしのんで歌ったものである。
しかし、この歌が有名になったことでこの枯れ滝は「名古曽(なこそ)の滝」と呼ばれるようになった。
第12問
Q この作者は、和泉式部の娘である。〇か✖か?
この歌の意味
大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てはいません。
A 〇
小式部内侍は、年少の頃から非常に歌が上手いと評判であった。
しかし、あまりに上手なので、母の和泉式部が代作しているのではないかと噂が出るほどであった。
この歌の意味
(冬の夜)淡路島から渡ってくる千鳥の鳴き声に、幾夜目を覚まさせられたことだろうか、須磨の関守は。
A 冬
「千鳥」とは、水辺に住む小型の鳥で、群をなして飛ぶ。
歌の世界では、冬の浜辺を象徴する鳥で、妻や友人を慕って鳴くもの寂しいもの、とされている。
この歌の意味
秋風に吹かれて横に長くひき流れる雲の切れ目から、洩れてくる月の光の、澄みきった美しさといったらどうだろう!
A ②
この歌の意味
ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。
A 夏
ホトトギスといえば3月から5月にかけて日本に渡ってくるので「夏を告げる鳥」として有名である。
ホトトギスの第一声(初音)を聴くのは非常に典雅なこととされていた。そこで山の鳥の中で朝一番に鳴くといわれるホトトギスの声をなんとか聴くために、夜を明かして待つこともよく行われていた。
第16問
Q 「ねや(閨)」は「寝室」のことである。では、「ひま」は何?
①時間
②天気
③すきま
この歌の意味
(いとしい人を想って)夜通しもの思いに沈むこの頃、夜がなかなか明けないので、(いつまでも明け方の光が射し込まない)寝室の隙間さえも、つれなく冷たいものに思えるのだよ。
A ③
第17問
Q 「村雨」の意味は?
①にわか雨
②激しい雨
この歌の意味
にわか雨が通り過ぎていった後、まだその滴も乾いていない杉や檜の葉の茂りから、霧が白く沸き上がっている秋の夕暮れ時である。
A ①
秋のにわか雨のことでおる。
第18問
Q 「たまのを」とは、もともとは、首飾りなどに使われる玉を貫いた緒(を。ひものこと)のこと。ここでは、生命を表す。〇か✖か?
この歌の意味
我が命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。
A 〇
作者は、一生独身で、1197(建久8)年頃に出家した。新古今集時代の代表的な女流歌人で、藤原俊成の弟子であった。なんと、藤原定家と恋愛関係にあったという説もある。
第19問
Q 「衣うつ」とは、当時の女性の仕事である。〇か✖か?
この歌の意味
奈良の吉野の山に、秋風が吹きわたる。夜がふけて(吉野という)かつての都は寒々とわびしく、衣を砧(きぬた)で叩く音が響いている。
A 〇
「衣を打つ音が聞こえてくる」という意味である。女性が夜にした仕事で、砧(きぬた)という柄のついた太い棒で衣を叩き、柔らかくして光沢を出した。
第20問
Q 作者が京都に建てた寺は、後に有名な寺となった。何か?
この歌の意味
桜の花を誘って吹き散らす嵐の日の庭は、桜の花びらがまるで雪のように降っているが、実は老いさらばえて古(ふ)りゆくのは、私自身なのだなあ。
A 金閣寺
作者は61歳で出家し、現在の京都市北山に西園寺を建てて住んだ。豪奢なこの寺は、後に足利義満が譲り受けて別荘としている。あの有名な金閣寺である。
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