緑色札 クイズ 下書き

第1問

Q この歌において、「花」と言えば、桜のことである?〇か✖か?

この歌の意味

 あなたは、さてどうでしょうね。他人の心は分からないけれど、昔なじみのこの里では、梅の花だけがかつてと同じいい香りをただよわせていますよ。

A ✖

 奈良時代には、「花」といえば、梅のことをさしていた。それが、平安時代になると、 桜のことになる。だから、和歌のなかに 「花」と出てきたときには、その歌がいつの歌なのかが大切である。

 桜といっても、今の桜とはちょっとちがう。今の桜は ソメイヨシノ という種類。昔のは、山桜(やまざくら)のこと。 花が咲くときに、葉も出る。

第2問

Q 百人一首が詠まれていた平安時代は、夫婦はいっしょに住んでいた。〇か✖か?

この歌の意味

 嘆きながら、一人で孤独に寝ている夜が明けるまでの時間がどれだけ長いかご存じでしょうか? ご存じないでしょうね。

A ✖

 夫は妻の住んでいる家(やしき)を夜たずね、朝帰るという、 「通い婚(かよいこん)」が普通。

 デートも、昼間男女が会うことはなく、夜に彼女の家を訪ねるのが普通だった。

他にも、通い婚の歌としては、次のものがあります。

この歌の意味

 (こんなことなら)ぐずぐず起きていずに寝てしまったのに。(あなたを待っているうちにとうとう)夜が更けて、西に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまいましたよ。

第3問

Q 百人一首の季節の歌で、一番少ない季節は?

この歌の意味

 夏の夜は(とても短いので)まだ宵の時分だなあと思っていたら、もう明けてしまった。月も(西の山かげに隠れる暇もなくて)いったい雲のどこのあたりに宿をとっているのだろうか。

A 夏

 季節ごとの数は、春が6、夏が4、秋が16、冬が6。

第4問

Q 作者は、世の中のことが嫌になって、この歌を歌った。〇か✖か?

この歌の意味

 私の庵は都の東南にあって、このように(平穏に)暮らしているというのに、世を憂いて逃れ住んでいる宇治(憂し)山だと、世の人は言っているようだ。

A ✖

 世間の人は、都から離れて宇治山に暮らしている私を評して、「あの人は憂し(宇治)、つまり世の中をうとましく思ってここに隠棲しているんだよ」と言う。

 しかし私自身は、平穏無事に心のどかに暮らしているんだよ。喜撰法師はこのような心持ちを表現したくて、こんな歌を作ったようだ。

 「やれやれ、人の噂とはしょうがないものだ」と、苦笑している法師の声が聞こえてくるような歌である。

第5問

Q 若い頃の小野小町は、「絶世の」「伝説の」何と言われたか?

この歌の意味

 桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。

A 美女

 小野小町(おののこまち。生没年未詳、9世紀ごろ)伝説の美女で、六歌仙、三十六歌仙の一人。平安初期の女流歌人としてナンバーワンとされる人である。小野篁(おののたかむら)の孫であるとか諸説があるが、正確な経歴は分かっていない。


第6問

Q 作者は今から何をしようとしているのか?

①釣り

②カヌー

③島流しの刑

この歌の意味

 広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、と都にいる人々には告げてくれ、漁師の釣り船よ。

A ③

 作者が隠岐へ流される時に作り、京の宮廷の人々に送った歌である。

 内実を知らずに読むと「大海原へこれから漕ぎ出すぞ」という勇気凛々とした冒険の歌かと勘違いするかも知れない。しかし作者は流刑に処せられ、これから遠く寂しい離れ小島へ渡っていくのである。


第7問

A ここで言う「若菜」とは何か?

この歌の意味

 あなたにさしあげるため、春の野原に出かけて若菜を摘んでいる私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかってくる。

A 「若菜」は決まった植物の名前ではなく、春に生えてきた食用や薬用になる草のことである。

 「春の七草」のセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)などが代表的である。

  昔から、新春に若菜を食べると邪気を払って病気が退散すると考えられており、1月7日に「七草粥」を食べるのはそこから来ている。初春の「若菜摘み」も慣例的な行事であった。

第8問 

Q 作者は、どんな人か?

この歌の意味

 さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。

A 在原業平は平安時代を代表する美男子で、恋多き人であった。「伊勢物語」の主人公のモデルとされ、この歌を捧げた天皇の女御・二条の后とも実は恋愛関係にあったそうである。

第9問

Q 作者は、いくつの恋愛の歌を作ったか?

①10 

②20

③30

この歌の意味

 これほど思い悩んでしまったのだから、今はどうなっても同じことだ。難波の海に差してある澪漂ではないが、この身を滅ぼしてもあなたに逢いたいと思う。

A ③

 この歌は、作者元良親王が時の宇多天皇の愛妃、京極御息所との不倫が発覚したときに詠んだ歌である。

第10問

Q 「ちぢに」の意味は?

この歌の意味

 月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど。

A 「様々に」とか「際限なく」という意味。

第11問

Q 小倉山は、どこにあるか?

①京都府

②兵庫県

③奈良県


この歌の意味

 小倉山の峰の紅葉よ。お前に人間の情がわかる心があるなら、もう一度天皇がおいでになる(行幸される)まで、散らずに待っていてくれないか。

A ①

 小倉山は、京都市の北西にある、右京区嵯峨にある紅葉の美しい名所である。大堰川を挟んで嵐山と向かい合う山で、ふもとに定家の別荘、「小倉山荘」があった。

第12問

Q 「心あてに」とは、「あてずっぽうに」という意味である。〇か✖か?

この歌の意味

 もし手折(たお)るならば、あてずっぽうに折ってみようか。真っ白な初霜が降りて見分けがつかなくなっているのだから、白菊の花と。

A 〇

第13問


Q この歌は、作者である右近の「恋愛の歌」なのか、それとも、「失恋」の歌なのか?

この歌の意味

 忘れ去られる私の身は何とも思わない。けれど、いつまでも愛すると神に誓ったあの人が、(神罰が下って)命を落とすことになるのが惜しまれてならないのです。

A 失恋の歌

 泣きたい気持ちを抑えて、皮肉や嫌みのひとつも言ってやるのも心の強さであろう。

第14問


Q 「恋すてふ」とは、「恋する蝶」のことである。〇か✖か?

この歌の意味 

 「恋している」という私の噂がもう立ってしまった。誰にも知られないように、心ひそかに思いはじめたばかりなのに。

A  ✖

 「恋をしている」という意味である。

 「しのぶれど」とこの歌は、村上天皇が主催した天徳4(960)年の「天徳内裏歌合」で、「忍ぶ恋」の題でどちらが優れているか競ったものなのである。

 どちらも名歌なので、判定が決まらず困っていたところ、帝が「しのぶれど」の歌を口ずさんだことから、平兼盛の勝ちとなったというエピソードが伝えられている。

 しかし、負けた壬生忠見は平静ではいられず、落胆のあまり食欲がなくなり、今で言う拒食症になってついには亡くなってしまった、という話が伝わっているが、これは大げさな作り話のようである。

 しかし、それほどの名勝負として後世に伝えられたのであった。

第15問

Q 「袖をしぼる」とは、どういう意味か?

①雑巾みたいに、袖をしぼる。

②泣き濡れる。

この歌の意味

 約束したのにね、お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら。末の松山を波が越すことなんてあり得ないように、決して心変わりはしないと。

A ②

 「袖をしぼる」というのは「泣き濡れる」という意味で、涙を拭いた袖がしぼらねばならないほどぐっしょり濡れた、という意味合い。

 大げさに思えるが、平安時代の歌によく使われる表現である。

 「つつ」は繰り返しを表す接続詞である。

第16問

Q 作者はなぜ、生きていることに疲れたのだろうか?

①権力闘争

②病気

③失恋💔

この歌の意味

 心ならずも、このはかない現世で生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出されるに違いない、この夜更けの月が。

A ①

 絶大な権力を誇った藤原道長に、目を患ったことを理由に退位を迫られていた。といっても本当の理由は病気ではなく、先帝一条天皇と自分の娘との間にできた子供を次の天皇に即位させ、道長が摂政として政治権力を一手に握りたかったからである。

 そこで、疲れ果てた三条院はついに退位を決意する。その時に詠まれたのが、この歌なのである。

第17問

Q 「夕されば」の意味は?

①夕方がすぎされば

②夕方になると

この歌の意味

 夕方になると、家の門前にある田んぼの稲の葉にさわさわと音をたてさせ、芦葺きのこの山荘に秋風が吹き渡ってきた。

A ②

第18問

Q 作者は、何歳ぐらいまで生きたか?

①20台後半

②50歳ぐらい

③70台後半


この歌の意味

 私の袖は、引き潮の時でさえ海中に隠れて見えない沖の石のようだ。他人は知らないだろうが、(涙に濡れて)乾く間もない。

A ③

 息長く活躍し、多くの歌合に呼ばれた。


第19問

Q 作者は、何歳まで生きたか?

①20歳

②28歳

③33歳

この歌の意味

 世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(へさき)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい。

A   ②

 鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で北条政子の息子、源実朝(みなもとのさねとも)のこと。優しい人柄に繊細で鋭い感性を持ち、百人一首の撰者・定家の指導で和歌に親しんだ。

 1203年12歳で3代鎌倉幕府将軍となったが、28歳になった1219年の正月、鶴岡八幡宮への参拝時に甥の公暁(くぎょう)に暗殺された。

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