【93番】12歳で3代将軍になるも暗殺された!!鎌倉右大臣!!


ジャンル:旅
時代:鎌倉時代 
超要約:のどかだね

歌の意味(子ども向け):ずっと変わらないでいてほしい・・・この愛おしい世の中が。

歌の意味:世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(へさき)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい。
☟この首に関するクイズ

Q 作者は、何歳まで生きたか?
①20歳   ②28歳   ③33歳 

 A ②
 鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で北条政子の息子、源実朝(みなもとのさねとも)のこと。優しい人柄に繊細で鋭い感性を持ち、百人一首の撰者・定家の指導で和歌に親しんだ。
 1203年12歳で3代鎌倉幕府将軍となったが、28歳になった1219年の正月、鶴岡八幡宮への参拝時に甥の公暁(くぎょう)に暗殺された。 

👇語呂合わせ(覚え方)


 作者は、漁師が小舟の綱を引くありふれた光景に、いとおしさを感じています。自分もそのように心穏やかな暮らしができればと、しみじみと思っているのです。

 「もがも」は「もがな」と同じで願望を表します。「常にもがもな」は「変わらないで永遠であって欲しいなあ」、「海人(あま)」は「漁師」という意味です。「かなし」は、「愛し」と書き、「心を打たれて愛おしくなる気持ち」のことです。

 作者の鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)とは、鎌倉幕府の3大将軍・源実朝(みなもとのさねとも)です。12歳の時に3代将軍になりました。鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の二男です。将軍とは言え、実朝は京風の暮らしを愛する風流な人間でした。蹴鞠を好み、また、藤原定家(97番)に自分の和歌を送って、指導を受けていました。「金槐和歌集」という歌集があります。

 当時、鎌倉幕府は天皇家と争っていました。兄の頼家(よりいえ)は殺され、自分もどうなるかわからないという不安を抱えていました。その不安は的中し、実朝は、鶴岡八幡宮を参拝している時、おいの公暁(くぎょう)に暗殺されてしまいました。28歳の時のことです。実朝のお墓は、鎌倉駅の来たにある寿福寺にあります。


0コメント

  • 1000 / 1000