【90番】千首の歌を詠んだと言われる!!殷富門院大輔!!


ジャンル:恋
時代:鎌倉時代 
超要約:涙で服変色

歌の意味(子ども向け):見る?私の袖、血の涙でぬれているわ。
歌の意味:あなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖でさえ、波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに。(私は涙を流しすぎて血の涙が出て、涙を拭く袖の色が変わってしまいました)
☟この首に関するクイズ

Q 「雄島」は、何県にあるか?
①兵庫県
②福井県
③宮城県

A ③
  「雄島(をじま)」は、歌枕としても有名な陸奥国(現在の宮城県)の松島にある島のひとつである。

👇語呂合わせ(覚え方)


 この歌は、源重之(みなもとのしげゆき)(48番)が詠んだ「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか」(後拾遺和歌集)(※)による本歌取りの歌であり、本歌に返歌する形の表現になっています。悲しみのために泣いて、涙が枯れ果てると血の涙が流れるという言い伝えを元に、恋の苦しさを表現しています。

※意味は「雄島の漁師の袖は、涙でぬれた私の袖のように濡れています。」

 「雄島」は、宮城県松島湾にある島々の一つです。リアス式海岸で知られる風光明媚な所で、雄島は海岸近くにある大きな島です。42番「ちぎりきな~」の「末の松山」と共に、東北地方の歌枕として、昔から歌の題材にされてきました。

 作者の殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)は、藤原信成(ふじわらののぶなり)の娘で、後白河天皇の皇女(こうじょ)である殷富門院に仕えたため、こう呼ばれます。殷富門院大輔は、式子内親王(89番)の姉にあたります。「新勅撰(ちょくせん)和歌集」には、女性で最も多い15首が選ばれるなど、女流歌人として活躍しました。当時は、小侍従(こじじゅう)と並ぶ女房の歌人として有名でした。非常にたくさんの歌を詠み、「千首大輔」と言われています。建久3(1192)年に殷富門院に従って出家し、尼となっています。生没年共に不詳です。


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