【89番】定家と恋仲の噂あるも一生独身!!式子内親王!!


ジャンル:恋
時代:鎌倉時代 
超要約:つらい死ぬ

歌の意味(子ども向け):あの人を好きだという気持ち、かくしきれない・・・。
歌の意味:我が命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。


☟この首に関するクイズ

Q 「たまのを」とは、もともとは、首飾りなどに使われる玉を貫いた緒(を。ひものこと)のこと。ここでは、生命を表す。〇か✖か? 

 A 〇
作者は、一生独身で、1197(建久8)年頃に出家した。新古今集時代の代表的な女流歌人で、藤原俊成の弟子であった。なんと、藤原定家と恋愛関係にあったという説もある。

👇語呂合わせ(覚え方)


 この歌は「忍恋(しのぶるこい)」という題詠で詠まれた一首です。「忍恋」とは、思いを表に出さず、自分の心の中にひめておく恋のことで、この歌ではその苦しさや切なさが詠われています。

 「玉の緒」とは、「生命」のことです。「弱りもぞする」とは、「気持ちが弱ってしまいそうだ」という意味です。

 作者の式子内親王(しきしないしんのう)は、後白河天皇の第三皇女(おうじょ)です。10歳ごろから、賀茂神社の斎院(神に仕える未婚の皇女)として過ごしましたが、病弱で、出家して、一生独身で通しました。和歌は藤原俊成(83番)と藤原定家(97番)から学んでいました。ちなみに、藤原定家とは、恋仲だったと言われますが、真偽は不明です。

 この時代の歌合にほとんど参加していなかったにもかかわらず、新古今和歌集には彼女の歌が大量に入選されました。これは、師である藤原俊成やその息子である定家を通して、当時の最先端の和歌を学んでいたためと考えられます。


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