【86番】武士から出家し諸国を旅した漂泊の歌人!!西行法師!!


ジャンル:恋
時代:平安時代 
超要約:だって月が

歌の意味(子ども向け):月のせい?いやそうではない、私のこの涙は。
歌の意味:「嘆け」と言って、月が私を物思いにふけらせようとするのだろうか? いや、そうではない。(恋の悩みだというのに)月のせいだとばかりに流れる私の涙なのだよ。

☟この首に関するクイズ

Q この作者の作品には、月や何が多く登場するか?
①星
②花
③虹 

A ②
 月と花を好んで歌に詠み、恋歌が多いことで知られる。

👇語呂合わせ(覚え方)


 月を擬人化して、月が物思いさせているから涙がこぼれてくるのであろうか、いやそうではないのだ、と詠んでいます。月が人にいやな物思いをさせるという発想は、和歌の伝統的な表現技法でもあります。月を見上げるだけで、人は恋する相手を思って、切なさにふるえずにはいられなくなる、そのような気持ちを詠んでいます。

 「嘆けとて」は「月が私に嘆けと言って」、「かこち顔」は「恨めしそうな顔」という意味です。

 作者の西行法師(さいぎょうほうし)は、佐藤義清(さとうのりきよ)という武士であったが、23歳で出家し、高野山(こうやさん)などで修行した後、吉野・伊勢・四国・東国(とうごく)などの各地を旅して歌を詠みました。特に月と桜の歌を多く詠んでいます。「三家集(さんかしゅう)」などの歌集があります。「願わくは花の下にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」と自分で詠んだ通り、如月の望月の頃(2月16日)、桜の下で亡くなったそうです。西行法師の一生は、「西行物語」に詳しく語られています。

 23歳で出家した時に、家庭と職を捨てたわけですが、なぜ、そこまでして出家にこだわったのだろうか、と疑問がわいてきました。


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