【84番】父と不仲でもめげずに歌学者として活躍!!藤原清輔朝臣!!


ジャンル:他
時代:平安時代 
超要約:思い出補正

歌の意味(子ども向け):大丈夫、乗り越えられる。昔は楽しかったって、今思うでしょう?
歌の意味:この先もっと長く生きていれば、辛いと思っている今この時もまた懐かしく思い出されてくるのだろうか。辛く苦しいと思っていた昔の日々も、今となっては恋しく思い出されるのだから。

☟この首に関するクイズ

Q 「憂しと見し世」の意味は?
①辛いと思っていた昔
②牛かたくさんいる光景  

A ①

👇語呂合わせ(覚え方)


 どんな苦しいことでも、すべては時の流れによって思い出に変わる、という内容で、しみじみとした味わいがあります。作者は、父親と仲が悪く、めぐまれない時期が長く続きました。この歌は、そんな作者が自分をなぐさめるために作ったものかも知れません。

 「ながらへば」とは「もし生きながらえるならば」、「このごろ」とは「現在」、「しのぶ」とは「懐かしく思う」、「憂(う)しと見し世」とは「つらいと思っていた昔」という意味です。

 作者の藤原清輔(ふじわらのきよすけ)は、歌道の名家である六条家(ろくじょうけ)に生まれました。父親である藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)から、歌道を受け継ぐ立場にありましたが、父がまとめた勅撰集「詞花集(しかしゅう)」には、清輔の歌は一首も入れてもらえない等、不仲だったようです。若い頃は不遇で、位も正四位下・太皇太后大進にとどまりました。

 しかし、40代を過ぎてからは二条院に深く信頼されて、重用されました。中年になってからは評価が非常に高くなり、博学で歌学(和歌の研究)に優れて、王朝歌学の大成者と言われています。二条院に重用され、「続詞花集」の撰者となりましたが、院が死去したため、残念ながら、勅撰集にはなりませんでした。

 歌人としてはもちろん、歌論書(かろんしょ)をいくつも書くなど、歌学者(かがくしゃ)としても活躍した人生でした。


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