ジャンル:他
時代:平安時代
超要約:鹿も大変だ
歌の意味(子ども向け):悲し気になく鹿よ。運命からは逃れられないのか。
歌の意味:この鹿も大変だ世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。思いつめたあまりに分け入ったこの山の中にさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。
☟この首に関するクイズ
Q この歌の作者は、百人一首の撰者藤原定家から見て、どんな関係の人か?
①いとこ
②友達
③父
A ③
俊成は京都市伏見区深草に住み、お墓も深草にある。
👇語呂合わせ(覚え方)
つらいことから逃れようと、人のいない山奥に入ったものの、その山奥では鹿が悲し気に鳴いています。生きている限り、どこへ行っても苦しみから逃れられないのだという絶望感を詠んだものです。
「思ひ入る」には、「思いつめる」と「~と思って(山に)入る。」の2つの意味が重ねられています。
作者の皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんせい)とは、藤原俊成(ふじわらのしゅんせい)のことで、藤原定家(97番)の父親です。「千載和歌集」の撰者。「皇太后宮大夫」という、天皇のご生母の御殿の事務をとる役所の長官を務めたためにこう呼ばれます。俊成がこの歌を作った27歳のころは、藤原氏にとってはいい時代ではありませんでした。昔の27歳というと立派な大人で、今で言うならちょうど中年にさしかかって、これからの人生をしっかり考えていこうとする時期に当たります。この歌が詠まれた当時は、西行法師をはじめ、俊成と同じ年頃の友人たちが次々と出家していました。俊成もそんな中でさまざまに悩み、悩んでもどこへ行こうと悩みはつきない、という内容のこの歌を詠んだのでしょう。
作者である藤原俊成は、西行と並んで後鳥羽上皇に賞賛されたように、平安時代末を代表する歌人でした。
後鳥羽院(90番)に90歳の誕生祝の宴を開いてもらうなど、幸福な晩年を送ったそうです。
俊成は京都市伏見区深草に住み、お墓も深草にあります。京阪電鉄鳥羽街道から東へ行った南明院の中にあります。
0コメント