【77番】5歳で天皇に!!崇徳天皇!!


ジャンル:恋
時代:平安時代 
超要約:また逢おう

歌の意味(子ども向け):恋人よ。いまは別れても、かならずまた会おう!
歌の意味:川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。
☟この首に関するクイズ

Q この歌は、恋の歌である。〇か✖か?

A 〇
 上皇の死後、後白河天皇と、どちらの皇子を天皇にするかで争って破れたのが「保元の乱」であった。
 後世には、崇徳院の不遇な生涯とこの歌を結びつけ、強引に譲位させられた無念の想いが込められている、と解釈する研究者もいる。

☆ゆかりの地巡り ⇨崇徳天皇御廟(京都府京都市)
👇語呂合わせ(覚え方)


 離れ離れになっている恋人への思いを詠んだ歌です。「瀬を早み」「滝川」は、恋のはげしさを感じさせ、将来は必ずいっしょになろうという強い思いにつながっています。

 「われても」には、水の流れが岩に当たって分かれるという意味と、男女が別れるという意味が、掛けられています。

 作者が実際に、瀬の速い滝川の前に立っているわけではなく、上の句全体が序詞(じょことば)となって、「われても末にあはむ」につながっています。

 作者の崇徳天皇(すとくてんのう)は、わずか5歳で、第75代の天皇となりました。その後18年間在位しましたが、父である鳥羽上皇によって、譲位(じょうい)させられ、その後継ぎ問題から、弟である後白河天皇と対立。1156年、保元(ほうげん)の乱に敗れ、讃岐(さぬき)(現在の香川県)へ流され、その地で45歳の時、亡くなりました。

 崇徳院は乱に破れて讃岐国松山(現在の香川県坂出市)に流された後、後白河天皇を呪い、ヒゲや爪を伸び放題に伸ばして恐ろしい姿になりました。調べに訪れた朝廷の使いは「生きながら天狗と化した」と報告し、また今昔物語では西行が讃岐を訪れた際に怨霊となって現れます。和歌に優れ、百首歌である「詞花(しか)和歌集」を作らせました。

 後世には、崇徳院の不遇な生涯と、この歌を結び付け、強引に譲位させられた無念の思いが込められていると解釈する研究者もいるそうです。それほど激しい思いを感じさせる歌でもあります。

 崇徳上皇が流された讃岐の地は、現在の香川県坂出市。瀬戸内海を望む海辺の街で、本州と四国を結ぶ、瀬戸大橋の基点です。坂出市の崇徳上皇ゆかりの史跡には、流された上皇が暮らした「雲井御所」(林田町)や、遺体が葬られた白峯山などがあります。

☝️崇徳天皇御廟に行って来ました!

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