ゆかりの地巡り10〜藤原定家山荘跡

 「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の身もこがれつつ」

(97番)


 2020年11月1日(日)、百人一首の生みの親とも言える藤原定家の山荘跡を見に行きました。

 下の画面のように、すぐ側を歩いていたのですが、山荘跡がわかりませんでした。ただの、草むらのような…

 常寂光寺は、苔が綺麗らしくて、紅葉になった頃に行きたいと思います。

 こんな感じでした。面影がない、というか…でも、これが「小倉山荘」と言われる所です。

 後から、知ったのですが、藤原定家が百人一首を選んだ場所は、諸説あり、常寂光寺の他にも、二尊院、厭離庵(えんりあん)が候補地としてあるそうです。いずれも、近くにあります。


 ところで、山荘の障子に貼る色紙の執筆を、藤原定家に依頼した人は、僧蓮生です。蓮生は、「中院山荘」に住んでいました。

 ここも面影はなく、民家が並んでいました。

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