【63番】乱行の噂絶えず「悪三位」と呼ばれた!!左京大夫道雅!!


ジャンル:恋
時代:平安時代 
超要約:挨拶だけは

歌の意味(子ども向け):もう一度、さよならだけでも君に直接言いたかった。
歌の意味:今となっては、あなたへの想いをあきらめてしまおう、ということだけを、人づてにではなく(あなたに直接逢って)言う方法があってほしいものだ。
☟この首に関するクイズ

Q この歌は、悲しい別れを迎えなければならなかった男が、なんとか恋人にもう一度逢えれば、と切実に願う話である。これは、作り話である。〇か✖か?

A ✖
 この歌は実話で、この歌の作者・藤原道雅と三条院の皇女・当子(とうし)内親王との秘密の恋のエピソードが残されている。
👇語呂合わせ(覚え方)


 当子内親王(とうしないしんのう)との恋を、三条院から禁止された時に詠んだ歌です。当時17歳だった当子内親王は、「斎宮(さいぐう)」という神に仕える身分でした。斎宮の女性は、恋愛を禁じられていました。伊勢から戻った親王の元へ、24か25歳の作者はひそかに通っていました。(厳密に言えば、この時すでに、親王は任を解かれて自由の身だったようですが…)しかし、その身分ちがいの恋のうわさがたち、それを知った父である三条院ははげしく腹を立て、二人を逢わないようにしました。仲を絶たれ、逢うこともできない悲恋の歌として、人の心に強く訴えます。

 「今はただ」は、「今となってはもう」、「思ひ絶えなむ」は「思いをあきらめてしまおう」、「とばかりを」は、「という一言だけを」という意味です。「人づてならで」は、「人を通して伝えたり聞いたりするのではなく、直接に」です。当時の貴族たちの恋は、文(ふみ)、つまり手紙のやり取りを介在する人がいたとのことです。


 作者である左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)=藤原道雅(ふじわらのみちまさ)は、幼少時に家が没落し、不幸な身の上でありました。藤原道長におされ、政治的には恵まれなかったようです。この歌の恋のお相手である当子内親王が亡くなった(密通の6年後に病死した)後、道雅は自暴自棄になって、すさんだ生活を送ってしまったそうです。『小右記』によれば、法師隆範を使って花山院女王を殺させたり、敦明親王(あつあきらしんのう)の雑色長を凌辱し重傷を負わせたりと、乱行の噂が絶えなかったようで「悪三位(わるさんみ)」の呼称があります。

 この名歌が、スキャンダルのおかげ!?で、誕生したのだと知り、少し複雑な心境になりました。


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