【62番】平安時代を代表する歌人!! 清少納言!!


ジャンル:他
時代:平安時代 
超要約:紀元前来い

歌の意味(子ども向け):なんていいわけしても、会いませんからね。
歌の意味:夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)

☟この首に関するクイズ

Q ここで言う「鳥」とは、ウグイスのことである。〇か✖か?

A ✖
 「鳥」は「にわとり」で、「空音」は「鳴き真似」のことである。

☆ゆかりの地巡り ⇨清少納言社(京都府京都市)
👇語呂合わせ(覚え方)


 作者は、藤原行成(ふじわらのゆきなり)と、ある晩話をしていましたが、翌朝、行成がまるで恋人同士をよそおったたわむれの歌を送ってきたので、この歌でやり返したのです。「鳥の空音は~」は、中国の「史記」の孟嘗君(もうしょうくん)の故事をふまえています。「戦国時代、秦(しん)へ行った斉(せい)の孟嘗君は、秦の王に殺されそうになり、深夜、函谷関(かんこくかん)まで逃げ出した。函谷関は、にわとりが鳴かないうちは開かなかったため、孟嘗君は部下ににわとりの鳴きまねをさせ、無事に逃れ出た。」という故事です。その函谷関と男女が逢うという逢坂の関を結び付けた、巧みな歌となっています。鶏の声→函谷関→逢坂の関の連想に、作者の教養と機知を感じさせられます。

 作者である清少納言(せいしょうなごん)は、生没年共に不詳ですが、紫式部(57番)と並ぶ平安時代の代表的な女流文学者で、「枕草子」の作者です。「枕草子」は、一条天皇の后・中宮定子(ちゅうぐうていし)に仕えていたことを元にして書かれた随筆です。父は清原元輔、曾祖父に清原深養父。「清」は「清原」に由来します。

 逢坂関は、東海道で京都への東からの入り口とされ、古くから交通の要所でした。8世紀の終わりには関所が置かれています。逢坂の関の跡は、京都からほど近い滋賀県大津市にあり、京阪電車京津線大谷駅で下車して歩いて2分ほどのところです。


 また、清少納言のこの歌には歌碑(歌を石に彫りつけたもの)があり、京都市東山区の泉湧寺(せんゆうじ)に置かれています。

☝️清少納言社に行って来ました!

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