【60番】幼い頃から天才的な歌才を発揮!!小式部内侍!!


ジャンル:他
時代:平安時代 
超要約:不正は無い

歌の意味(子ども向け):お母さんじゃなくて、私が作った歌ですよ。
歌の意味:大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てはいません。

☟この首に関するクイズ

Q この作者は、和泉式部の娘である。〇か✖か? 

A 〇
 小式部内侍は、年少の頃から非常に歌が上手いと評判であった。
 しかし、あまりに上手なので、母の和泉式部が代作しているのではないかと噂が出るほどであった。

👇語呂合わせ(覚え方)


 母である和泉式部(56番)が、夫とともに丹後国に下っていた頃、都で歌会が開かれ、小式部内侍は出席していました。それを聞いた藤原定頼(ふじわらのさだより)(64番)が小式部の所へやってきて、「歌はどうなさいましたか?丹後の母へ代作をたのむ使いは出しましたか?使いがまだ帰って来ませんか。気がかりでしょうね。」とからかった時、その場で詠んだ歌です。機転を利かせた才気あふれる一首です。

 「いく野」には、「生野」に「行く」を掛けています。「ふみもみず」に、「踏む」と「文(手紙)」を掛けています。

 作者である小式部内侍(こしきぶのないし)は、和泉式部の娘です。母が「和泉式部」のため、「小式部」と呼ばれました。幼い時から天才的な歌才を見せた人です。母と共に、中宮彰子に仕え、関白教通(かんぱくのりみち)や頭中将公成(とうちゅうしょうきみなり)らに愛されて、それぞれの子どもを産んでいます。母よりも早く、25歳くらいで病気で亡くなり、母を哀しませました。


 大江山とは、丹波国桑田郡(現在の京都府西北部)の山。(下の2.3.4枚目の地図。)

 鬼退治で有名な丹後の大江山(下の1枚目)とは別だそうです。

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