【57番】平安時代最高の女流文学者!!紫式部!!
ジャンル:他
時代:平安時代
超要約:もう帰るの
歌の意味(子ども向け):もっと友だちと、おしゃべりしたかったわ。残念。
歌の意味:せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどうかのわずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。
☟この首に関するクイズ
Q この歌は、少ししかない恋人との時間を惜しんだ歌である。〇か✖か?
A ✖
「新古今集」には、幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわずかの時間しかとれず、月と競うように帰ったので詠んだ、と本人が書いている。
そうしたことから雲間にすぐ隠れてしまう月になぞらえ、再会した幼友達とつもる話もできずに帰られてしまった寂しさを詠んだ歌である。
☆ゆかりの地巡り ⇨紫式部のお墓(京都府京都市)
👇語呂合わせ(覚え方)
この歌は、昔からの幼友達であった人と久しぶりに会ったものの、わずかな時間話しただけで、別れの時間がやってきてしまったことを、初秋の月を惜しむ気持ちに重ね、美しく歌い上げています。「夜半の月かな」の「かな」が、残念な心持ちをよく表しています。
作者である紫式部(むらさきしきぶ)は、生没年不詳ですが、「源氏物語」の作者として有名で、平安時代最高の女流文学者です。幼くして母を亡くし、20代半ば頃、父親の赴任地(越前=今の福井県)についていきました。しかし、雪国での厳しい生活がつらかったのか、1年ほどで都に戻ったそうです。
教育熱心な父は、理解の早い式部に対し、「この子が男の子だったら」と嘆いたそうです。藤原宜孝(ふじわらののぶたか)と結婚して、賢子(けんし)(=大弐三位)(58番)を生みました。その3年後には、夫と死別したそうです。その後、一条天皇の中宮彰子に仕え、その傍ら「源氏物語」や「紫式部日記」を記しました。
「源氏物語」の中で、主人公の光源氏が、京の都を離れ、須磨にいる時に、満月を眺めながら「めぐりあう」を使った歌を詠んでいます。
『見るほどぞ しばし慰む めぐりあはむ 月の都は はるかなれども』
(月をながめていれば、しばらくの間、心が慰められる。めぐり合う月のように、また巡り合える人のいる都は、ここからはるか遠くではあるが・・・・。)
人と人との出会いを、月の巡りに例えるのは、ロマンティックな感じがします。
福井県には、紫式部をしのんで、紫式部公園(24時間営業)が造られています。平安時代の貴族の住居(寝殿造り)を模した3000坪という広大な敷地に、霊峰・日野山をはじめ武生盆地を囲む山々を借景に、池や築山を配置しました。黄金の紫式部像もあります。
また、京都府には、紫式部の墓があります。周辺は、現在は宅地になっていますが、近くの雲林院の境内であったとされています。
どちらも近いうちに行ってみようと思います!
☝️紫式部のお墓に行って来ました!
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