【47番】一流の歌人との交流があった住職!!恵慶法師!!


ジャンル:秋
時代:平安時代 
超要約:人来ない秋

歌の意味(子ども向け):さみしい小屋にも、きちんと秋は来てくれますねえ。
歌の意味:つる草が何重にも重なって生い茂っている荒れ寂れた家。訪れる人は誰もいないが、それでも秋はやってくるのだなあ。

☟この首に関するクイズ

Q 「人こそ見えね」とは、作者が歳をとり、目の病気になったことを表している。〇か✖か? 

A ✖
 目の病気になって人が見えなくなったのではない。誰も来なくなったという意味である。

👇語呂合わせ(覚え方)


 作者の恵慶法師は河原左大臣(14番)の子孫・安法(あんぽう)法師のもとをたびたび訪れ、歌会に参加していました。百人一首のこの歌はその際に詠まれたもののようです。

 はなやかな昔を思いつつ、人の世のはかなさと秋の訪れを、しみじみと詠んでいます。

 詠まれた場所=「やえむぐらしげれる宿」は、河原院(かわらのいん)という場所です。100年ほど前に、源融(みなもとのとおる)(14番)が建てた立派な館でしたが、融の死後は、荒れ果てていました。そこに、作者である恵慶法師(えぎょうほうし)の友人で、融のひ孫にあたる安法法師(あんぽうほうし)が住んでいる頃には寺院になっており、そこは文人たちの交流の場となっていました。

 作者の恵慶法師は、生没年不詳。播磨国(兵庫県)の国分寺の住職で、仏典の講義などをしていました。当時一流の歌人たち(清原元輔、大仲臣能宣、平兼盛ら)と交流がありました。


 河原院のあった場所は、京都の北東、鴨川のほとりの五条大橋の近辺でした。今は遺跡として、大橋のたもとに標識が立っています。すでに恵慶の時代に、廃園として滅びの美学の象徴としてあった河原院。千年以上の時を経た私たちの時代からは、その痕跡を見るだけです。

 私も学生時代には、この五条大橋を通ったことがありましたが、河原院跡があったなんて知りませんでした。


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