【46番】いじめに屈しなかった名歌人!!曾禰好忠!!


ジャンル:恋
時代:平安時代 
超要約:恋の遭難者

歌の意味(子ども向け):どうなるかわからない。不安でいっぱいの恋だよ。
歌の意味:由良川の河口の流れが速い瀬戸を漕ぎ渡る船頭が、櫂をなくして行く先も分からずに漂っていく。そんなようにこれからどうなるのか行く末が分からない私の恋の道行きだ。

☟この首に関するクイズ

Q 由良川は、どこにあるか? 
①兵庫県
②奈良県
③京都府 

A ③
 由良川は京都府の北部、宮津市を通って日本海に流れ込む川だが、河口部分はちょうど川の水と海の水が混じって流れが速い上に、波が乱れて渦などもできている。

👇語呂合わせ(覚え方)


 「由良の戸」とは、京都府の由良川が若狭湾に注ぐ河口の辺りです。河口部分はちょうど川の水と海の水が混じって流れが速い上に、波が乱れて渦などもできています。熟練した船頭さんでもつい川船の櫂を流されてしまい、急流に翻弄されてどうすればいいのかと途方にくれたりもするようです。今回の歌は、その情景を「序詞」として語り、私の恋もそれと同じで、これからどうなるか分からない。途方にくれてしまっている、と歌っています。


 先行きの見えない不安な恋を、波間をただよう頼りない小舟にたとえています。「行くへも知らぬ」には、かじをなくして流される舟の行方が分からないという意味と、恋の行方が分からないという意味があります。


 作者の曽禰好忠(そねのよしただ)は、生没年共に不詳。地位が低く、変わり者とみなされていたため、歌会には招かれなかったそうです。そこで、粗末な格好で乗り込み、「才能は決してそこいらの方々に比べ劣っていない。自分のような名歌人が招かれぬはずがない」と言ってまわり、藤原実資、藤原朝光らに、襟首をつかまれて追い出された、というエピソードがあるくらいです。曽禰好忠の歌が認められたのは、死後のことです。

 平安時代は殿上人と地下との格差が広がった時期でもあり、名前と役職から一文字ずつ採った「曾丹(そたん)」というあだ名は、貴族たちの蔑視の産物といわれています。上のエピソードについても、その場にいた某人物の日記には、好忠は正式に招待されていたという記述があるそうです。ということは、好忠をいじめて楽しもうというたくらみがあって、彼はまんまと乗せられてしまった、という推測も成り立ちます。

 いずれにせよ、貴族たちから、いじめられていたようです。こんな昔から、いじめはあったのですね。ひょっとしたら、「偏屈」とか「奇行」と言われているのは、こうしたいじめに立ち向かった結果なのかも知れません。

 ちなみに、由良川橋梁周辺は、結構有名な撮影スポットだそうです。京都丹後鉄道が水上を走るような写真が撮れるそうです。


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