【43番】超美青年で琵琶の名手!!権中納言敦忠!!


ジャンル:恋
時代:平安時代 
超要約:好きが進化

歌の意味(子ども向け):お会いする前のぼくは、なんて幼かったのだろう。

歌の意味:恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、昔の想いなど、無いに等しいほどのものだったのだなあ。
☟この首に関するクイズ

Q この歌は、恋しい人に会う前と、会った後の気持ちを比べている。会う前の気持ちのことを、どう表しているか?

A 無いに等しい、何も考えていなかったようなものだ。
👇語呂合わせ(覚え方)


 恋愛とは罪なもので、出会った時には両想いになりたいと思って心が動くのに、ついに心が通って逢瀬を遂げ、一夜を共にしてみればまた激しく愛情がつのる。彼女の一挙一動が気になる。こんなことならいっそ逢わなければ良かったのに。こんな感情に比べたら、逢瀬を遂げたいと思っていた以前なんて、何も考えていなかったのと同じだ。・・・

 この歌は、男性が女性の家から帰ってきた後に送った歌=「後朝(きぬぎぬ)の文(ふみ)」(百人一首には3首ある)だと言われています。恋しい人に逢う前と逢った後の気持ちを、巧みに対比してとらえ、恋が叶った後の切なさや、やるせない気持ちを歌いあげています。

 作者の権中納言敦忠=藤原敦忠(ふじわらのあつただ)は、三十六歌仙の一人です。父である藤原時平(ふじわらのときひら)は政敵であった菅原道真(すがわらのみちざね)(24番)を失脚させ、九州に左遷しました。しかし、その後時平や一族に不幸がおとずれ、やがてそれは、道真の怨念によるものだとささやかれるようになります。そんな中、敦忠自身は政治には全く興味をもたなかったのですが、自分の短命を予期していたといいます。そして実際に、37歳の若さで病死してしまいました。

 容姿が美しく、人がらも良かったと伝えられています。また、和歌や音楽(琵琶の名手)の才能がありました。つまり、貴族の社会でモテる条件がそろっていました。敦忠の母は、あのイケメンで名高かった在原業平のひ孫だそうです。とすると、敦忠がモテるのも納得です。色好みとして知られ、華麗な恋愛遍歴をもつ右近を振ったのも、この敦忠でした。

 この歌は、熱愛関係にあった女性=右近に捧げた歌とも、後に妻となった北の方(藤原玄上の娘)に捧げた歌とも言われているそうです。実のところは、どちらなんでしょうね。


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