【26番】藤原氏全盛時代の基礎を築いた大政治家!!貞信公!!


ジャンル:秋
時代:平安時代 
超要約:散るな紅葉  

歌の意味(子ども向け):見せたい人がいるから、散らずに待っていて、もみじよ。
歌の意味:小倉山の峰の紅葉よ。お前に人間の情がわかる心があるなら、もう一度天皇がおいでになる(行幸される)まで、散らずに待っていてくれないか。

☟この首に関するクイズ

Q 小倉山は、どこにあるか?
①京都府
②兵庫県
③奈良県
 

A ①
 小倉山は、京都市の北西にある、右京区嵯峨にある紅葉の美しい名所である。大堰川を挟んで嵐山と向かい合う山で、ふもとに定家の別荘、「小倉山荘」があった。
  👇語呂合わせ(覚え方)


 小倉山は、京都にある紅葉🍁の名所です。桂川を挟んで、嵐山と向かい合っています。

 お出かけした際、そこの紅葉の美しさに感動した宇多法皇(「法皇」は、出家した上皇のこと。「上皇」とは、退位した天皇のこと。)が、せひ息子の醍醐天皇にも見せてやりたいと言ったのを、お供していた作者が受けて、この歌を詠んだと言われています。醍醐天皇の行幸(みゆきorぎょうこう)まで、散らずにその美しさを保っていてくれと、紅葉に語りかけています。

 ちなみに、「みゆき」を漢字で書くと2種類あります。御幸と行幸です。「御幸」は上皇・法皇に使い、「行幸」は、天皇に使います。


 小倉山は、小倉山荘があった場所でもあります。小倉山荘とは、藤原定家(ふじわらのていか)の山荘で、選んだ百首を屏風(びょうぶ)=障子色紙に描いたという場所です。この百首が小倉山荘にあったので、「小倉百人一首」と呼ばれるようになりました。


 作者の貞信公(ていしんこう)とは、藤原忠広(ふじわらのただひろ)のことです。死後に、付けられた名前=諡(おくりな)です。兄である藤原時平(ふじわらのときひら)の死後、政権をとり、関白・太政(だじょう)大臣となりました。子の実頼(さねより)を左大臣に、師輔(もろすけ)を右大臣にし、藤原氏全盛の基礎を作りました。

※「関白」とは、成人の天皇を補佐する官職である。令外官であり、また、実質上の公家の最高位であった。


 晩秋の紅葉の美しい季節には、ぜひ嵐山周辺の紅葉を見に行きたいものです。その際、近くにある、厭離庵(えんりあん)=小倉山荘があったとされる寺院にも行ってみたく思います。ただし、普段は非公開、紅葉のシーズンのみ一般公開だそうです。

 それにしても、小倉山荘は、なぜ残ってないのでしょうね?ご存知の方、教えてください!


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