ジャンル:恋
時代:平安時代
超要約:最早草頼み
歌の意味(子ども向け):だれにも知られずに、二人で会えたらいいな。
歌の意味:恋しい人に逢える「逢坂山」、一緒にひと夜を過ごせる「小寝葛(さねかずら)」その名前にそむかないならば、逢坂山のさねかずらをたぐり寄せるように、誰にも知られずあなたを連れ出す方法があればいいのに。
☟この首に関するクイズ
Q 「逢坂山(あふさかやま)」は、大阪府にある。〇か✖か?
A ✖
この歌の舞台になっている「逢坂山」は、今の京都府と滋賀県大津市の境になっている坂道である。付近に高速道路が通り、同じ百人一首にある、蝉丸の「これやこの 行くも帰るもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」の歌碑が建っていたりする。
👇語呂合わせ(覚え方)
この歌には、人目を忍ぶ恋に苦しむ、切ない気持ちが表われてます。
「逢坂山(あふさかやま)」と「逢う」、「さねかづら」の「ね」を「寝る」の「ね」とかけているので、「逢坂山のさねかずら」が"恋人と逢って寝る"という意味になります。(「逢う」というのは、ただ会うだけでなく、男女が一夜を共にすること、契りを交わすことという意味合いがあります。)「逢坂の関」を越えるということは、許されない男女が一線を越えて結ばれるということだそうです。
しかも、さねかづらは、複雑に絡み合うつる性の低木なので、恋の状況が困難であることをも表しています。
👇さねかづらの別名は「ビナンカズラ」
作者は、藤原定方(ふじわらのさだかた)といい、右大臣になり、京都の三条に住まいがあったので、三条右大臣(さんじょうのうだいじん)と呼ばれるようになったそうです。醍醐天皇時代の歌壇の中心人物(醍醐朝の和歌サロンのパトロン的存在)で、政治的地位が安定していたことから、心に余裕があり、おっとりと風流に生きた人でした。
逢坂山は、大阪府にあったのではありません。京都と滋賀の間にある山です。
逢坂山の近くには、逢坂山公園や蝉丸神社もあります。
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