【9番】絶世の美女だった!!小野小町!!


ジャンル:春  

時代:平安時代 

超要約: 果無い花盛  

歌の意味(子ども向け):ああ、としをとるのは、いやだわ~。

歌の意味:桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。

☟この首に関するクイズ  

Q 若い頃の小野小町は、「絶世の」「伝説の」何と言われたか?
 

A 美女
 小野小町(おののこまち。生没年未詳、9世紀ごろ)伝説の美女で、六歌仙、三十六歌仙の一人。平安初期の女流歌人としてナンバーワンとされる人である。小野篁(おののたかむら)の孫であるとか諸説があるが、正確な経歴は分かっていない。 

☆ゆかりの地巡り ⇨小野小町別荘跡(京都府京都市) ⇨補陀洛寺(京都府京都市)

👇語呂合わせ(覚え方)



 「ふるながめ」という言葉に、「経るながめ(年をすごす物思い)」と「降る長雨」とをかけて、桜の美しさが失われていく悲しさに、自分の美しさが衰えていく悲しさを重ねた歌です。つまり、「眺め(=ぼんやりと物思いにふける様子)」が「経る」と、「長雨」が「降る」ということです。

 この歌にも「花」が出てきます。平安時代以降は、「花」といえば、桜です。(例外として、35番紀貫之作「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににおいける」の歌に登場する「花」は梅である。)

 ところで、百人一首の歌人たちが見た桜は、ソメイヨシノではありません。なぜなら、ソメイヨシノは、江戸時代にオオシマザクラとエトヒガンを掛け合わせて生まれた品種だからです。

 作者の小野小町は、有名な女流歌人です。絶世の美女と言われています。土地の美人のことを「○○小町」などと言うのも小町伝説の影響です。99日も小野小町のもとに通った深草少将に、ついぞ心を許さなかったという「百夜通い(ももよかよい)」という伝説が残っています。

 しかし、歳をとってからは容姿が衰え、生活もおちぶれて、日本各地をさまよったという言い伝えもあります。

 また、小野小町は、「六歌仙」の一人です。六歌仙とは、平安時代の紀貫之が、少し昔に活躍した有名な歌人としてあげた6人のことです。官位の高い人ではなく、伝説の歌人を選んだと言われています。

 上地図のように、京都市の北のはずれに、補陀落寺(ふだらくじ)というお寺があります。ここは、小野小町の終焉の地とされています。お墓の他、老衰像や供養塔、姿見の井戸などもあります。

☝️補陀落寺に行って来ました!

 また、京都市の東の方には、随心院というお寺があります。ここも、小野小町ゆかりの地です。化粧井戸や文塚があります。3月の最終日曜日には小町に扮した少女が踊る「はねず踊り」が行われます。また、「ミス小野小町コンテスト」も行われます。庭園も美しく、小野小町がここで過ごしたのか〜と物思いにふけるのも味わい深い過ごし方となると思います。


☝️小野小町別荘跡に行ってきました!

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