【8番】一首しか残してないのに「六歌仙」!!謎の多い喜撰法師!!


ジャンル:人生  

 時代:平安時代 

 超要約: 住めば都だ 

歌の意味(子ども向け):いろいろ噂になっとるようですが、のんきにやってますわ。

歌の意味:私の庵は都の東南にあって、このように(平穏に)暮らしているというのに、世を憂いて逃れ住んでいる宇治(憂し)山だと、世の人は言っているようだ。

☟この首に関するクイズ 

Q 作者は、世の中のことが嫌になって、この歌を歌った。〇か✖か? 

A ✖
 世間の人は、都から離れて宇治山に暮らしている私を評して、「あの人は憂し(宇治)、つまり世の中をうとましく思ってここに隠棲しているんだよ」と言う。
 しかし私自身は、平穏無事に心のどかに暮らしているんだよ。喜撰法師はこのような心持ちを表現したくて、こんな歌を作ったようだ。
 「やれやれ、人の噂とはしょうがないものだ」と、苦笑している法師の声が聞こえてくるような歌である。

👇語呂合わせ(覚え方)


 ひょうひょうとした世捨て人感覚が出ている歌です。「しかぞすむ」に動物の「鹿」を掛ける説もあります。その場合、「私の庵は都の東南にある。鹿もいるし、私はこんなふうに楽しく過ごしていますよ」といった意味になります。(「都のたつみ」とは、「都の東南」という意味です。)

 上地図にもあるように、喜撰洞というところが、喜撰法師が過ごしていたところ=「宇治山」だそうです。

 そこへ行ったことのある方のレポートがこちらです。

👇

 もともとこの歌は、喜撰法師が自分の住処を言葉遊びで自己紹介した歌でした。ところが『源氏物語』が大流行してから、『宇治十帖』によって、宇治=「憂き」場所というイメージが定着し、「世をうぢ山」という表現は、「『源氏物語』から世の人が憂いを感じるあの宇治山」、というニュアンスに変容してしまったようです。

 喜撰法師は、六歌仙の一人。宇治山で暮らしていた僧、という他は不明な点が多く、謎の多い僧でした。喜撰法師は、この一首だけを世に残し、他のすべての歌を捨て去ってしまったそうです。

 また、喜撰法師は、口べたな人だったようです。古今集の仮名序の中で紀貫之が「宇治山の僧喜撰は、言葉かすかにして、初め終りたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし」と人となりを語っています。

 ちなみに「六歌仙」とは、平安時代初めの和歌の名手たちを6人選んだもので、在原業平、僧正遷昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町のことを言います。

 一首しか、歌を残してないのに、「六歌仙」に選ばれていること自体が、謎ですね!

 この「わが庵は」の歌によって喜撰法師の名は「宇治」と強く結びつけられました。宇治といえば喜撰。宇治といえば茶。というわけで宇治茶には「喜撰」という銘柄があります。「喜撰」の上等なものを「上喜撰」といい、例のペリーが来航した時の狂歌で有名ですね。

 宇治市は、当時、都の貴人たちの別荘地となっていたそうです。そんな宇治市には、平等院と宇治上神社という2つの世界遺産があります。

 喜撰法師に由来のある、喜撰茶屋や喜撰橋も、訪れてみたい場所です。


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